デスノート(実写版)について

yamada1642009-01-09



金曜ロードショーデスノート(実写版)を観た。一部の友人は知っているが私はかなりデスノートの原作(コミック)が好きで、アニメのDVDも全巻持っている。原作のすばらしさを実写で表現するのはほぼ不可能に近いと思っていたので実写版はノーマークだったが、たまたまテレビでやっていたので観てしまった。以下にその感想を書く。




※ネタバレ記事です。





※批判的感想が多いです。いやな人は読まないでください。





私はこの実写版はかなり残念というかデスノートの実写版ではない別の作品のように感じた。以下にその根拠を列挙する。


・月(ライト)君の記憶を失っている期間について、ほとんど役者の演じ分けがなされておらず、結果記憶が戻ったときの急激な変化が描けていない。

これにより、月(ライト)君の特殊で深い人間性の大部分が表現されていないように感じた。しかしこの問題は作品を観る前から予測できたものであった。あの演じ分けは漫画だから可能なのかもしれない。どんなに優秀な俳優でも、月(ライト)君ほど優れた知性と人間性を持ち合わせていない限り演じるのは難しいのかもしれない。でも、せめてトライしようとした痕跡くらいは残してほしかった。


・Lの死に方(死んだふりのしかた)が変

なぜレムが名前を書いた約40秒後に死んだふりができたのだろうか?監視カメラでレムを見ていたのだろうか?監視カメラはレムを写すことができるのだろうか?ノートに触ったLだから見えたのか?だとしたら、月(ライト)君にもそれは見えたはずではないのか?


・Lのトリックが変

Lは自分の命を犠牲にして事件の解決や自らの勝利を求める人格であったのだろうか?時には死のリスクを背負ってでも行動しているような描写があるが、それらはLのなかで生き延びることができるという確証があっての行動なのではないだろうか?

→なぜ23日で自分が死ぬような書き込みをしたのか?デスノートには死亡日時23日以内のルールがあるが、例外規定として「23日以上かかるような病気で死亡させる場合は例外。」とあり絶対ではない。この部分の検証が不十分なまま23日後の死を確定させるのは、もはや自爆テロ的行為でありLではないと思った。


※スピンオフ作品であるL Change the World は、私はまだ見てません。その作品でこのトリックが解明され、Lが死なない可能性が(私の中では)わずかですがあります。Lが生き延びたらこの指摘は無効です。しかし実写版作成の意図を慮る限りでは、Lは多分死んでしまうのではないかと思われます。原作の設定を重視して実写作品が実写版用の設定を否定するのも変な話しだし。


・ストーリーやテーマそのものが変わっていて変

月(ライト)君が父親の名前を書いたら、月(ライト)君の人格の設定が破綻してしまうのではないか?(原作者はここの部分にこだわりをもっていたのではないか、と私は感じていたのだが・・・)

そもそも原作は月(ライト)君がLを倒すという話なのに、勝敗が逆転してしまうのはいくらなんでもやりすぎではないのか?

原作のメロ・ニア編は確かに一般的には不評かもしれないが、Lより劣るメロ・ニアに月(ライト)君が敗れることにストーリーの意味やテーマがあったのではないか?


・総括

いろいろ不満はあるものの、映画作品としての完成度は低くはない?極めて漫画の優位性が発揮された作品をがんばって実写映像化ているとも思う。原作のイメージと作品性を前提に見ると不満たらたらになるが、原作を知らない人が観たらそうは感じないはず。しかし、原作を知っていることが前提であるかのような説明不足が多々散見されるため、原作を知らない人はそもそもストーリーやトリックがわからないのではないか?

原作ファンのみをターゲットにするのではなく、知らない人も楽しめることを目指し、その上でなるべく原作のムードも引き出すことを考えて作っているのだろうか。商業主義から逃れられない大人の作品作りなのかもしれない。

原作はかなりバクチな作品だったと思う。連載前は制作サイドに自信はあったかもしれないけど、それでも大当たりか大コケかわからないリスキーな作品だったのではないだろうか。そういったテイストが独特の作風を作りそれが魅力になっていたのかもしれない。実写作品にはそういったテイストは感じられなかった。だからデスノートらしくないと思った。