イエスキリストではない、ということについて


それでも、一度共感を抱いてしまった人に対しては励ましたり元気付けてみたりしてしまう。しかしやはりあまり効果はない。ことばには限界がある。こんなとき、自分はイエスキリストではないのだな、と思う。完成された音楽であれば、ある面では人を救うことができるのかもしれないが、現実的にはそう都合良くそんな演奏はできない。


肉体的・客観的・物理的な問題や苦痛はこれらの問題とは別である。主観的な面で人が人を救うことは(家族とか、よほど信頼関係のある恋人同士とかでない限りは)ほとんどできないと思う。だからこそ、客観的な部分では人に気遣ったり優しく接したりすることは大事なのだと思う。


このことは合唱の演奏を作っていく場合、とくにアンサンブルという観点に立ったときにとても重要なことだと思う。合唱もアンサンブルも、ひとつのコミュニケーションチャネルであるということを常に意識していきたい。