【原発問題】
NHKスペシャル シリーズ 原発危機 第1回「事故はなぜ深刻化したのか」 を観て、斑目委員長の不遜極まりない態度に非常に強い違和感、不信感、憤りを覚える。
散々原発を推進して、管理する責任も帯びた立場にいて、公共の放送の場で、「3月11日がなかったらどんなによかったか」という神経。自分がどんなに辛いかわかってくれ、という感じ。その前に言うこと言って、やることやるのが先だと思う。被害者も人間で心あるんですよ?
個人的印象だが、斑目委員長は本当に他人の命や健康、富、生活は何とも思っていない。金と自分だけだと思う。この状況で自分を顧みない覚悟もなく、原子力を推進し、利益を得てきたのは無責任の極み。こんな人たちのために福島や日本全体が生命や深刻な健康の危機にさらされるのは本当に許せない。
しかしその後テレビでやっていた梅棹忠夫さんの番組はすごく良かった。原子力発電のような、一歩間違えば国レベル、あるいは人類レベルでの問題を引き起こす技術の運用に、知の巨人たる氏の観点が活かされなかったのは無念だが、氏からすれば「それこそが人類の業だ」ということなのかもしれない。
「人類の業」というのはその通りだと感じる。原子力に手を染めるのも、なのに制御もできず責任をとろうとしないのも、その結果苦しんで滅びるのも人間の業といえばそれまで。でも凡人の感覚では、やはり加害者と被害者が明確にいて、自分としては虐殺を行う加害者は許せない。
業に対抗できる根本は、結局この感情しかない。なぜなら、それもまた人間のもう一つの業だからだと思う。知的好奇心や科学、あるいは富の追及が人間の業であるならば、道徳やモラル、思いやりや愛情もまた、人間の業だ。原発推進派がここまで論理的にも科学的にも破綻した感情論をぶつけてくる現状においては、反対派も多少は感情的に動いていいと思う。デモも賛成だし、どうしたら原発推進利権や、その変な建前である「原発による産業や経済の活性化?」がインチキであることを分かりやすく示すことができるのか考えることも大事だし、良いアイディアが浮かばければ、人の良いアイディアに賛成の表明をすることだけでも大きな力だ。それが例えば勤務先では難しかったら、私生活の中でするだけでもいい。原発を使わなくても生活はできるし、強いて推進派に合わせて言えば、原発による物理的経済的豊かさ?に極端に依存しない豊かさもあるはず。今の生活の中で、目の前の放射能汚染対策(被曝を避けること)は、ただ単に今の問題を避けて軽減して解決することだけでなく、その先にある新しい生活や社会を作るヒント探しでもあるのだと思う。
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お客様について
アマチュアの団体でも、「お客様のために」という言葉はよく使われる。単にプロを気取っているだけなのか、ほんとうにお客様のことを考えているのかは人それぞれ、ケースバイケースだと思う。私もよく「お客様のために」と口にしていると思う。
とはいえ私はプロの歌手でもなければ歌が仕事なわけでもないので、プロの方がいう仕事としての意味での「お客様のために」とは根本的に違う。
私は音楽が好きだからやっているわけであって、目的は音楽なので、必ずしもお客様がいないと私の音楽活動がなりたたないとは思わない。また技術的にもわざわざ人様に聞かせるレベルのものでもないので、わざわざ舞台に立ちお客様に歌を聞かせる意味は基本的にはないと考えている。
しかしせっかく稽古を積んでいるのだから、お客様に聞いてもらえたらやはりうれしいし、何よりもお客様が来てくださる本番があるほうが稽古をしやすい。アマチュアの活動においては、「お客様のために演奏者が演奏する」というよりも、「お客様が演奏者のために来てくださる」とう側面が非常に多いと思う。
この関係に気づかずに、単純にプロの方と同じような「お客様のために演奏者が演奏する」というスタンスで「お客様のために」という人もアマチュア音楽家の中にはいる。実力的にかなりすばらしい方であれば、アマチュアの方でもそのような態度でも説得力を感じるが、大方大半のアマチュアの方の場合は、なんだか実態とのギャップを感じてしまう。
私が「お客様のために」というのは、わざわざ聞きたくもない下手な音楽を聞きにきてくださる方に対して、せめて失礼にならないよう誠実に誠心誠意取り組む、という意味で言っているのだと思う。
このような認識で私は音楽に望んでいるが、今回は題材のよさと役得と、先生のご指導の賜物で、終演後ロビーでお客様をお送りしていたところ、思いがけないお褒めの言葉をずいぶん頂戴してしまった。もちろんアマチュアの公演においてのことであり、多分にお世辞も含まれてはいるものの、やはり見ず知らずの方に「良かった」と言われたり握手を求められたりするのは初めてのことで、非常にうれしく感じた。
お客様に対して誠意を尽くそうとした結果、それが通じたのであれば、アマチュアの音楽家としてはこんなにうれしいことはない。と同時に、今後もますますがんばろう!という気持ちも強く感じた。まさにお客様に育てていただいているのだな・・・ということを実感した公演だった。
魔笛の公演について
さる1月18日、魔笛の公演が終わった。色々細かいトラブルや問題はあるものの、一応無事に終わったということになるのだろうか・・・
私自身パパゲーノのような大役で出演させていただくことは初めてなので、今までにないくらいかなり気合を入れて調整をし本番に臨んだ。具体的には本番1週間前の月曜日から毎晩赤ワインをグラスで2杯のみ、また普段はしないマスクをして寝た。季節柄、夜寝ている間に乾燥し翌朝はノドがガラガラということが続いていたので・・・
また約1週間前の10日にボイストレーニングのレッスンをお願いした。本来であれば毎週、あるいはせめて隔週くらいで通うべきなのだが、現実はなかなか難しく、パパゲーノのためにヴォイストレーニングをしていただいたのはこれで2回目?あるいは3回目だろうか?本番1週間前なのでもう手遅れか・・・とも思ったが、できることは全部やろうということで先生にお願いした。
結果としてはこれがかなり奏功したとおもう。ボイストレーニングについてはまた別途記事を書くつもりだが、私にとっては大変すばらしく相性もよい先生で、とにかく10日のレッスンのおかげで18日はだいぶ下駄を履かせてもらえたと思う。
デスノート(実写版)について
金曜ロードショーでデスノート(実写版)を観た。一部の友人は知っているが私はかなりデスノートの原作(コミック)が好きで、アニメのDVDも全巻持っている。原作のすばらしさを実写で表現するのはほぼ不可能に近いと思っていたので実写版はノーマークだったが、たまたまテレビでやっていたので観てしまった。以下にその感想を書く。
※ネタバレ記事です。
※批判的感想が多いです。いやな人は読まないでください。
私はこの実写版はかなり残念というかデスノートの実写版ではない別の作品のように感じた。以下にその根拠を列挙する。
・月(ライト)君の記憶を失っている期間について、ほとんど役者の演じ分けがなされておらず、結果記憶が戻ったときの急激な変化が描けていない。
これにより、月(ライト)君の特殊で深い人間性の大部分が表現されていないように感じた。しかしこの問題は作品を観る前から予測できたものであった。あの演じ分けは漫画だから可能なのかもしれない。どんなに優秀な俳優でも、月(ライト)君ほど優れた知性と人間性を持ち合わせていない限り演じるのは難しいのかもしれない。でも、せめてトライしようとした痕跡くらいは残してほしかった。
・Lの死に方(死んだふりのしかた)が変
なぜレムが名前を書いた約40秒後に死んだふりができたのだろうか?監視カメラでレムを見ていたのだろうか?監視カメラはレムを写すことができるのだろうか?ノートに触ったLだから見えたのか?だとしたら、月(ライト)君にもそれは見えたはずではないのか?
・Lのトリックが変
Lは自分の命を犠牲にして事件の解決や自らの勝利を求める人格であったのだろうか?時には死のリスクを背負ってでも行動しているような描写があるが、それらはLのなかで生き延びることができるという確証があっての行動なのではないだろうか?
→なぜ23日で自分が死ぬような書き込みをしたのか?デスノートには死亡日時23日以内のルールがあるが、例外規定として「23日以上かかるような病気で死亡させる場合は例外。」とあり絶対ではない。この部分の検証が不十分なまま23日後の死を確定させるのは、もはや自爆テロ的行為でありLではないと思った。
※スピンオフ作品であるL Change the World は、私はまだ見てません。その作品でこのトリックが解明され、Lが死なない可能性が(私の中では)わずかですがあります。Lが生き延びたらこの指摘は無効です。しかし実写版作成の意図を慮る限りでは、Lは多分死んでしまうのではないかと思われます。原作の設定を重視して実写作品が実写版用の設定を否定するのも変な話しだし。
・ストーリーやテーマそのものが変わっていて変
月(ライト)君が父親の名前を書いたら、月(ライト)君の人格の設定が破綻してしまうのではないか?(原作者はここの部分にこだわりをもっていたのではないか、と私は感じていたのだが・・・)
そもそも原作は月(ライト)君がLを倒すという話なのに、勝敗が逆転してしまうのはいくらなんでもやりすぎではないのか?
原作のメロ・ニア編は確かに一般的には不評かもしれないが、Lより劣るメロ・ニアに月(ライト)君が敗れることにストーリーの意味やテーマがあったのではないか?
・総括
いろいろ不満はあるものの、映画作品としての完成度は低くはない?極めて漫画の優位性が発揮された作品をがんばって実写映像化ているとも思う。原作のイメージと作品性を前提に見ると不満たらたらになるが、原作を知らない人が観たらそうは感じないはず。しかし、原作を知っていることが前提であるかのような説明不足が多々散見されるため、原作を知らない人はそもそもストーリーやトリックがわからないのではないか?
原作ファンのみをターゲットにするのではなく、知らない人も楽しめることを目指し、その上でなるべく原作のムードも引き出すことを考えて作っているのだろうか。商業主義から逃れられない大人の作品作りなのかもしれない。
原作はかなりバクチな作品だったと思う。連載前は制作サイドに自信はあったかもしれないけど、それでも大当たりか大コケかわからないリスキーな作品だったのではないだろうか。そういったテイストが独特の作風を作りそれが魅力になっていたのかもしれない。実写作品にはそういったテイストは感じられなかった。だからデスノートらしくないと思った。
2006年9月以降について
前回のブログの更新がひさびさであったので、なんとなく過去のブログをざっと見返してみると、大変中途半端なところで更新が途切れているので、途切れてしまった2006年9月以降のことを簡単に書きます。
2006年
9月3日 結婚式と披露宴
9月18日 新居に引越し
結婚式と引越しについては各ネタはたくさんあったはずなのですが、記憶が・・・しかし結婚式についてはいつか書きます。
2007年
2月 新生 有機Gにて東京ヴォーカルアンサンブルコンテスト 男声の部に出場
8団体中8位のビリ!
しかし活動は充実していました。これも本来活動詳細を日記風にこのブログに書きたいのですが(もともとそのためのブログだし)、いつかエッセンスだけでも書きます。
3月 声楽研究会 カルメンにモラレス役で出演、奥さんはフラスキータ役で出演
この公演も大変でした。これも本来活動詳細を日記風に・・・以下略。
8月 中小企業診断士1次試験受験、7科目中6科目合格、
最後の1科目も1点足らずで涙を飲む
9月 声楽研究会 こうもり公演の稽古に参加開始
2008年
2月 有機Gにて東京ヴォーカルアンサンブルコンテスト 男声の部に出場
なんと奨励賞受賞!TVECは高校時代銅賞、混声R時代銀賞受賞経験がありましたが、過去のどのコンクールよりもうれしかったです。
これも本来活動詳細を日記風に・・・以下略。
2月 長女誕生 大変元気で健康な女の子を授かりました。
3月 声楽研究会 こうもり(日本語公演)にファルケ役で出演。
この公演も大変でした。これも本来・・・以下略。
4月 TIAA公演「カヴァレリア・ルスティカーナ」に合唱で出演。
7月 声楽研究会次回公演「魔笛」のオーディションをパパゲーノ役で受ける。
何とか合格をいただく。
8月 中小企業診断士1次試験受験、危なげなく合格。
10月 中小企業診断士2次筆記試験受験
ぜんぜんできなくてなきそうになったり途中で帰りそうになったりする。
12月 なんと筆記試験合格の通知が届く。その後の口述試験も合格し、二次試験合格となる。
まとめてみて思うこと:過去に書いた私のブログは全般的に長すぎる。このくらい簡単にまとめたほうが良くわかる。(笑)
2008年と2009年について
2008年はブログの更新は完全に滞っておりましたが、私にとっては近年まれに見る非常に充実した、また幸運に恵まれた年でありました。また、資格試験の勉強に膨大な時間を費やしつつ、勤務先の仕事も近年まれに見る繁忙を迎えたり、私生活上でもさまざまな重要な出来事があり、振り返ると1年の間に3年分くらいの出来事が起こったように感じられます。私自身大変キツかった年ではありましたが、それが大方良い結果に結びついたのは何より私の周りにいる方々のさまざまなご助力のおかげに他なりません。ブログ上で大変恐縮ですが、厚く御礼申し上げます。
2009年はいよいよ診断士として活動を始めることになるのか、あるいはパパゲーノまでやらせていただいた音楽活動にさらに踏み込んでいくのか、自らの行く先を慎重に考慮しつつ邁進する年となりそうです。もっとも勤務先の仕事も相変わらず多忙なので、そうたいしたことはできずに過ぎてしまうかもしれませんが・・・何はともあれご助力いただいている多くの方々の期待に少しでもお応えできるよう努力する所存です。
今回はずいぶん久しぶりの更新になったので、私自身のことについて多く書きましたが、次回の更新からはまたこれまでの作風に戻る予定です。ご安心ください(笑)