効率の悪い練習について


合同の男声合唱の練習に行ってきた。今回で3回目だ。


実は今回の練習でオフィシャルな合同練習は最後なのだ。世代を超えた混合編成ということでスタートはバラバラだった。3回の練習でなんとかそろい始めたか・・・というところでもう本番だ。


マチュアの活動において、一般的には本番までの練習回数が少なすぎる場合が多いように思う。僕自身は高校、大学の合唱部での活動をベースに考えてしまうからか、やはり1つの曲、1つの本番(3〜5曲程度)にたいして、指揮者の先生の指導のもと最低でも10回くらいはみっちり練習したい。そしてそれを補完するために随時パート練習自主練習などをしたい。


というのも、中途半端な状態で本番に乗ってオシマイ、というのはとてももったいないと思うからだ。今回の男声で言えば、やっと声もそろってきて練習としてはこれからどんどん面白くなっていくはずなのである。


その一番オイシイ部分まで行かない、あるいは十分に楽しむことなく本番を迎え、そのメンバーでその曲を歌うことはもうない、というのはほんとうにもったいない。もっと練習したい。


しかし現実として本番は本番なので、僕としては儚い抵抗をするばかりである。日曜日にごく限られたメンバーでも良いから臨時練習をしてみたり、混合編成を構成する各団の単独練習にお邪魔してみたり。


こういう動きはもちろん儚い動きで、はっきりいって3、4人が集まって臨時練習を2,3時間くらいしたところで全体への影響力は僅少もいいところだろう。効率が良いとはいえない。


こんなとき、「だったらやらない」なのか、「それでもやる」なのか、この違いは実はすごく大きい。僕はここ最近、どちらかというと前者だったようなきがするが、今は後者だ。菊華アンサンブルさんの演奏を聞いたことが一番大きなきっかけなわけだが、実はここ最近のストII熱による部分も多い。


「良い演奏をしたい!」という気持ちは良い演奏を聞くことで芽生えるが、この「効率の悪い臨時練習」はその具体的手段であり方法論の部分だ。これは情熱だけではなく、その先の論理的・具体的な思考から導き出される部分だろう。


最近のストIIプレイで僕が学んだことは、「瀬戸際」「土壇場」の戦い方というか、その心構えだと思う。対戦ゲームに限らずあらゆる対人事象にいえることだが、「最後まであきらめない」ということを常に実践でいている人は意外に少ない。


部が悪くなってきたり、負けそうになってくると心のどこかで「もういいや」みたいな気持ちが芽生え、そして負けたときの心情は「ほらね」である。戦っているのは自分なのに、途中からどこか心が自分から離れて他人ごとになっている心理だ。


この思考は当然、良い結果につながる可能性を引き下げる。こと結果にこだわるのであれば、心理としては常に「絶対に勝つ」だし、負けたときは「自分の負け」であり、それは「手を抜いた自分の負け(だから悔しくない)」ではなく「本気の自分の負け」であるはずだ。だから負けることはものすごく悔しい。


このことに結局どこまでこだわれるか、ということなのだと思う。どんなに追い詰められても自分を見失わず最後まで最善の選択・行動を維持しつづけること、この心の強さがストIIの強さなのだ。そしてそのことは我々が取り組むほとんどの物事についても動揺に言える。


そこで練習なのだ。どんなに効率が悪くとも、他にそれ以上の選択がないのであれば突き進むしかないのである。そして効率の悪い練習でもやると決めたからにはまたその中で最善の選択・行動をしていくのだ。


菊華アンサンブルさんから「音楽的動機」を頂戴し、ストII(特に梅原さん)からは「コトにあたる心構え」を教わって、ここ最近の僕は動いている。


男声合唱の本番まであとわずかだが、とりあえず今はすべての機会において最大の効果を発揮するよう勤めるばかりである。