水曜日の練習について


先週に引き続き今日もCさんの練習へ参加させていただいた。今日は指揮者の先生もいらして、割と内容的にも充実した練習をしていただくことができたように思う。


先日の日曜日の合同練習のときにも指揮者の先生がおっしゃっていたことだが、先生は「今、このメンバーでこの曲を歌うことには意味がある」ということを盛んにおっしゃっている。


僕のように斜に構えがちなひねくれ者としては、練習中しばしば(このメンバーでこの曲はムリだ)とか、(この練習回数で本番を迎えても意味がない)などと無意味にマイナス志向に考えてしまう場合が正直ある。


でもそういう点は僕なんかよりも先生の方がはるかに深く感じているのかもしれない。先生は僕などとは比べ物にならないほどの音楽的才能と経験を持ち合わせており、それに加えて信じられないくらい耳が良い。僕が「音程がきたないな〜」などと感じているときの先生の心境は僕などの非ではないのかもしれない。


それでも先生は絶対に「無意味」「無駄」という言葉を使わない。むしろ逆で、「このメンバーで、この曲を今歌うことに絶対に意味がある」とおっしゃる。


当事者である僕としてはこの言葉はとても身にしみる内容である。言い換えれば、「意味のあるものにできるかどうかは、演奏者次第だ」ということをおっしゃっているように僕には聞こえる。


演奏が上手くいかないとき、それをそこにある何らかの悪条件のせいにして「意味のない活動だった」と簡単に片付けてしまうのではなく、どんな活動や演奏でも必ず意味がある、とうスタンスから活動に入っていき、当事者としてそれを実現させていくというスタンスは、演奏者としてもっとも基本的なスタンスだと思う。


そしてこのスタンスを最後まで貫くことがどんなに難しいことか。曲が難しい、メンバーに合わない、メンバーが足りない、声質が違う、練習時間が足りない・・・・不利な条件などどんな場合でも数限りなく挙げることができる。


活動をはじめるにあたっては、なるべく有利な条件で活動できるよう調整を図ることも大事だ。しかし一度活動が始まったならば、有利だ不利だ、無意味だなどということ自体がある意味無意味で、そんな評論家的な立場にたっている場合ではなく、とにかくその活動の中で最大限のベストを尽くすことが大事なのだ。


どちらが正しいのか?悪なのか?善悪の判断に逡巡することよりも一度戦いが始まったのなら・・・男なら途中で節を曲げることなく最後まで自分の立場で戦い抜くのだと・・・クールに徹すのだと・・・そういう無言の強烈な語りかけのように僕には感じられた。


合唱活動にとどまらず、あらゆる活動・仕事に共通して言えることかもしれない。大事なことだと身にしみつつもついつい忘れがちになってしまうことを、実体験を伴って思い出させてくれる先生にはほんとうに頭があがらない。


せめて活動や演奏でお返しをしたいと切に思う今日この頃である。