人に認めてもらう、ということについて


◎昨日の内容の続きです。


しばらく並んでそれぞれに対戦プレイを続け、僕は彼のアドバイスをなるべく実践すべく戦った。そうしているうちに彼本人と対戦したくなり、僕が反対側に回り彼と対戦した。おそらく1勝8敗くらいだったろうか。しかもその1勝は彼が手加減してくれた可能性が高い。


それでも大変充実した時間をすごせたことに僕は満足し、彼に一言「これで帰ります」と挨拶し店を後にした。


店の階段を降りていくと、彼が後ろから追いかけてきて「僕も帰ります」という。彼は神でなかなか負けないので帰るきっかけをつかみにくいというのもあったのだろう。それでもやはり僕としては神の人に声をかけられるのがうれしくて、「ではちょっとラーメンでも食べていきませんか」と誘ってみた。


ゲーセンのすぐ近くのちょっと並んでいるラーメン屋に二人で入った。会話はお互いの仕事や出身のことを少々、それからゲーセンのほかの常連プレイヤーのことや彼らの戦い方のこと、そしてゲームそのもののテクニックやベガの重要なテクニックなどを教えてもらった。


驚いたのは、僕のXベガのクセや弱点を良く知っている。もちろん過去何十回、いや何十回も対戦しているということもあるが、神プレイヤーの人が僕のことを一人のベガ使いとして認識し、チェックしてくれていたということが大変うれしい。


またその人が「Xベガでがんばっている人を見ると応援したくなる」と言ってくれたのが何よりもうれしかった。思い返せばここ数年、何かに打ち込んで努力していることを誰かに認めてもらうということはなかったように思う。


もちろん社会人である以上努力よりも結果なわけだが、良い結果を出せたときでもあまり評価されたり認められたりということがなかったように思う。それはもちろん僕の日常生活における人付き合いのまずさもあるのだろうが、とにかく僕はここ数年いろいろなことを一人でやっていたように感じている。


(合唱の活動についてはちょっと違って、いっしょにがんばっている人や、僕のことをかわいがってくれる人が何人もいてくれて僕はとても感謝している。でもそれは、「僕が本当にやろうと思って努力していることを理解してくれて、認めてくれている」というのとはちょっと違うような気がする・・・・)


ストIIという狭い領域においても、やろうとしていることは人によってまちまちだ。だから強い人や頻繁に通ってプレイしている人同士でも、お互いのことを評価したり認め合ったりすることは稀だ。


そういう状況において、僕のプレースタイルとそのための努力を、トッププレイヤーの人が認識してくれて応援してくれている、というのはほんとうに励みになった。


僕は、何かをするときに「人に認められるためにする」というのはあまり好きではない。たとえば音楽においては、「音楽を表現するため」「良い音楽を通じて、聞き手に何かを伝えるため」に取り組むのはとても良いと思う。しかし、「自分自身を評価してもらうため」「自分自身を認めてもらうため」に取り組むのは的がずれているように感じる部分がある。それが本質ではない、というか・・・・


それでも今回のように淡々と積み重ねた努力を、自分の尊敬する人が認めてくれていたというのはうれしい。僕のようなタイプの人間の場合、おそらくそういう機会は生涯を通じて何回もあるものではないだろう。