「音楽に許される」ということについて


自分自身の調子も徐々に上がっていくのを感じる。そして2回目の3曲目(Gratia Vobis)の練習に差し掛かったあたりで、全体のバランスもほぼ調整が取れ、また自分自身もその中に入り込めた感覚を得る。


Gratia Vobis は演奏の録音をもちろん何度も聞いており、とても綺麗で美しくすばらしい曲だと思っていたが、やはり実演を生で、しかも自分も歌いながら体験するのは格別だ。特に2ページ目の「et a jesu christo」から 「et princes regum terrae」を練習していた際、その響きのあまりの美しさに歌いながら感涙し、まさに涙を流した。(比喩とかではなく、そこに実際に物理的に液体として存在したのだ。)


僕は自分が演奏しながら自分達の演奏に酔いすぎるのは好きではないので、このような態度はあまり好きではないのだが、このときばかりは涙を抑えることができず、それでも無理に抑えようとして一瞬歌うことができなくなってしまった。


もちろん演奏に対してのものだが、どこかに「音楽に救われた」とう感覚が残った。他者の演奏を聞いて淡くそのような情感を抱くことはあるが、自分が演奏に参加していてこれほどの情感をいだいたのは初めてかもしれない。自分の声や音楽生活に行き詰まりを感じ、どこかで「合唱を続けるのはもう限界か」と考えていた自分だが、意外にもこの練習ではある程度歌うことができ、音楽に演奏することを許されたような不思議な感覚があった。


練習中なのであまり感傷にひたっているわけにもいかず、すぐに落ち着きを取り戻してまた演奏に復帰するが、このとき僕は関東大会に出場することを決めた。また同時に、合唱をもうしばらく続けることも決意していたように思う。