クラッシック音楽に触れることで、凡人が得られる可能性があるもの、について


これは単純に技術力の発展の問題だけではなく、音楽人として豊かな感性を磨く、という観点からも大きな損失だと思う。僕が合唱という形でクラッシック音楽に触れたことによるもっとも大きな恩恵のひとつは、「絶対に自分からは取りくまないであろう音楽」に数多く、それも深く接することができたことだ。そこから僕は、音楽を始める以前の僕がまったく想像もできなかった実に様々な彩の世界を垣間見ることができた。どちらかというと、とっつきにくい曲、耳あたりの悪い曲ほど、真剣に取り組んだときに得られるものが大きかったと思うし、最初は嫌いであった音楽もある段階を境に急激に好きになることが多くあった。それはおそらく、世の中にたくさんある音楽のチャンネルのうち、自分の中では「OFF」になっていたチャンネルが「ON」に切り替わったということなのだろう。凡人である僕は素朴に乱暴に、「ON」であるチャンネルは多いほうが良いし、それはその人の音楽性や人生を豊かにする、と考えてしまう。だから、男声Fが例えば三善晃先生の作品に取り組まないという姿勢はとても残念でならない。


話がずれてしまったが、要するに僕自身が考える限り、今の男声Fが全国を目指すためにまず必要なことは「輝きのある発声を徹底的に追及する」「三善晃先生の作品に取り組む」の2点だ。取り組む作品としては、「クレーの絵本 第2集」の「ケトルドラム奏者」や「死と炎」などが良いと思う。とっつきにくかったら「まじめな顔つき」でも良いかもしれない。これらはもちろん僕の好みによるものであり、狙いが同じであればもちろんほかの曲でも、ほかの作曲家の作品でもかまわないだろう。


とまあえらそうなことをずいぶん書いてしまったが、僕がまずしなければならないことはこんなことを考えることではなく、まず自分自身がもっと練習をすること、そしてそのために必要な生活環境を整えること、さらにそのために自分の生活上の課題を整理しひとつづつ解決していくことだ。それは十分にわかっているのだが、まあせっかく関東大会に出させていただいたことだし、感覚が温かいうちに全体的なことも考えておきたかったのだ。


上の内容を悪い角度から表面的に読むと、まるで男声Fを批判しているように見えてしまう可能性があるがもちろんそんな気持ちは微塵も無い。むしろここまで活動を継続し、この段階まで到達してる男声Fは本当にすごいと思う。(何せ、男声合唱団としては関東で1番なのだ。今回のコンクールの結果としては。)


そして僕の中にある演奏者としての情熱をここまでよみがえらせてくれたのも、男声Fなのだ。ほんとうに男声Fは奇跡の合唱団であり、今後もそうあり続けるよう貢献できれば何よりである。