天才である、ということについて


合唱団の忘年会で小田急相模大野にある「八起」という焼肉やにいってきました。忘年会続きで焼肉なんてもう食べられない、と思っていたのだけれど美味しくて結構食べてしまいました。銀座や都心の高い焼肉やで高いメニューを頼むよりも、郊外の名店のほうが美味しいし価格も相対的に安いと思う。寿司でも焼肉でも、ほんとうに美味しいものは郊外のほうが多いような気がする・・・


それはそれとして、合唱団の中で僕が天才だな〜と思ってマークしている人が二人いるのですが、そのうちの一人のひととお話ができてとても楽しかったです。合唱団といっても月に2回くらいしか練習がないし、普段は以外と話をしないものなのでこういう機会はとても貴重です。この合唱団にはおそらく天才の人が大勢いて、かなりの音楽ができていて僕なんかはついていくのに必死なのですが、そのなかでも特に天才なひととお話ができたのはとても有意義なことでした。


話してみて思ったのは、やはり天才の人は天才なのだな〜というか、自分自身の耳や感性がすごくしっかりしていてそれを大事にしているということがちょっとお話をさせていただいただけでも伝わってきました。普通のひとは、自分自身の感性をあまり大事にしていないというか、ある程度みんなと同じものの感じ方をするように自分自身をカスタマイズしている部分があると思います。またそいういった姿勢は、社会の中で生きていくに当たりある程度は必要なことだと思います。しかしほんとうに得がたい才能をもっているひとは、あまりそのような態度をとることで自分自身の天性の幅を狭めてしまうのはもったいないようにも思います。天才のひとというのは、自然と自分の才能を狭めない態度やスタンスが身についているものだな〜と思いました。


もっとも、自分の感性を大切にするスタンスを貫いて生きてきたからこそ、結果として天才になったのかもしれません。自分自身の感性を大切にすることと、社会生活を営む上で回りとの折り合いを付けること、両方のバランスを保つことが凡人にとっては大事なのかもしれませんね。