演奏の解体と再結合について


上記の話はもちろん抽象論で、原則的には練習を重ねれば重ねるほど演奏は良くなっていくと思う。しかし、良くも悪くも「小さくまとまった演奏」というのはあるわけで、本番までまだ練習回数がある段階で演奏が小さくまとまっていく方向になってしまったときには、一度まとまりを解き再度組みなおす、ということは多くの指揮者の先生方が試みるところであろう。


練習を重ねて演奏を作るということは、いわば岩のノミで削って塑像を作るような作業である。岩は、ノミを入れる前からその岩の中に最高の形というものを内包しているといったのは誰であっただろうか・・・とにかく我々はノミをてに岩を削り、その岩が持っている最高の可能性を目指し、近づき、到達する。


到達したその後はどうであろうか?すでにその岩は最高の可能性を達成しており、そこからどのようにノミを入れても不完全になる、つまりマイナスにしかならないのである。しかし芸術家は、ときにその先を目指す。


そのためには、出来あがった完全体である塑像を一度こなごなに崩すのである。そして、その崩れた砂をまた集めて別の岩を作るのである。そしてまた、一からノミを入れなおすのである。合唱の練習を重ねていくとき、私はふとこれに似た感慨を感じることがある。


この考え方は普遍性があり、もちろん塑像や音楽だけでなく、ありとあらゆるものごとにあてはめて考えることが出来るだろう。限界突破に向けた視野のコペルニクス的転換、とでも言おうか。