「学生の合唱」と「社会人の合唱」について


「合唱団を去るものは引き止める」という僕のスタンスはいまでも変わらない。しかしやはり学生と違い社会人となるとただ音楽をやっていればいいわけではないし、特に音楽をやることがその人の本業部分(仕事)にとってマイナスになってしまったり、生活や人生を貧しいものにしてしまったりするようでは音楽を続けることはできないと思う。


だから社会人が良い合唱活動を長く継続するためには、過程において一時的に活動から離れることも必要な場合があると思う。やはり長い時間をかけてほんとうによい演奏を作っていくことが一番大事だと僕は考えていて、そのための一時的な休止はある意味必要なのかもしれない。


問題なのは、そういう「前向きな意味での休止」であるのかどうか、ということだと思う。活動を一度休止してしまうとなかなか復帰するのが面倒になってしまったり、復帰するタイミングをつかみ損ねてしまったり・・・・特に一般論として社会人合唱団などある意味冷たいもので、練習以外にメンバー間の接点がほとんど無い場合も多い。


こんなとき、折りをみて復団を催促することはとても重要なことだとおもう。根本的なスタンスは、学生時代に退団しようとするメンバーを引き止めることと変わらないが、既に社会人である我々の生活に合わせ、一時的な休止までは良しとするもほんとうに合唱から離れてしまうことについては引き止める、というニュアンスだろうか。


もちろん、本人が好きで勝手に参加するのが本来の姿である。しかし長い時間活動をしていくとどうしてもいろいろな問題が発生するし、メンバーも年を重ねるほど惰性がはびこり弾力性を失っていく部分がある。


だからその分、メンバー間での有機的なつながりをもってカバーしていくことが大事なのだと思う。長期的な活動が大事、という観点からも、また合唱はそもそもメンバー相互における有機的なシナジーを利用しているという観点からも、とにかくメンバーをつなぎとめていくことは極めて重要であると僕は思う。