練習について

yamada1642005-04-09



久しぶりに学校のない土曜日だったのでRの練習開始時刻である6時に練習場に行ったら、練習係の彼一人しか人がいなかった。


Rの練習時間は6時から10時だが、実際に人が集まり始めるのは6時半頃からで、7時くらいにはその日のメンバーの大体がそろうといったところか。


合唱団の活動にはいろいろなコンセプトや考え方がありうるが、Rのような社会人一般団体の場合みな仕事や生活があるので、欠席や遅刻を直ちに否定・非難することはナンセンスだと思う。しかしそのことが当たり前になりすぎて、練習開始時間という概念が希薄になってしまうのはあまり上手くないように思う。


とくにRの場合は指揮者の先生が大変多忙な方で、6時にいらっしゃれないことも多い。そんなときこそ合唱団にありがちな指揮者の先生におんぶにだっこ的風土を改善するチャンスだし、また自分たちのペースでゆっくり練習することもできる。


しかし現実には6時にひとは来ない。そのことを否定することはナンセンスだが、やはりさみしく感じてしまう。僕が練習係だったときには「中と半端な活動しかできないのならば、いっそのこと練習を7時開始にしてはどうか」という意見があがることもあった。しかし僕としては、「7時開始にすれば、人が集まるのは7時半、8時になる可能性がある」ことや、「小人数・先生抜きでも良い活動をして、メンバーに”早く来たい”と感じてもらうことがほんとうの解決だ」という考えから、むしろ練習開始時刻を早めるほうが良いくらいに考えていた。


実際、僕が練習係でいたときにはこの「6時から7時の時間に、いかにメンバーに来てもらうか、来てもらったメンバーにいかに満足してもらうか」ということをいつも考えていたし、色々手を打ったりもした。


Rのメンバーは人柄的には非常に良い人が多かったこともあり、何らかの策を打っている間は徐々に人が早く集まるようになっていく。しかしそれも一過性のもので、特に何もしないで自然状態に任せておくとやがて人は来なくなる。


理想論としては、メンバーはみな練習を楽しみに感じて少しでも早く練習に来てくれることだろう。そして練習に来れば、特別仕切る人がいなくとも自然に練習が始まりそれが楽しいものである、となればいうことはない。


メンバー一人一人のレベルが、技術的にも意識の上でもそれなりに高い団はこのような活動をしている。しかしRの場合はメンバー間の個人差がかなりあり、結局強力に束ねる役割の人がいないと何も始まらない場合が多い。


このような現象は合唱団には非常に良くあるように思う。単純に良い練習を「用意」して、それを押し付けるかのように「やらせる」練習は、大人の趣味としては何となくもの足りなく感じる。アマチュアとは言え音楽をやっている以上、メンバーそれぞれが自分の中にある音楽を自発的に積極的に出して欲しいし、そうすることで反発が発生するし、それを調和していくことがアンサンブルだと思う。


メンバー一人一人が微妙に引っ込んでしまうと、確かに波風は立たたず形の上では整うかもしれないが、それは何もしていないに近い部分がありさみしいように感じる。もちろんRのすべてがそうだというわけではないが、活動の節々にそういう風潮を感じる。それが端的に現れてしまっているのが、「6時に人が全然こない」という点なのだと感じる。


それはそうと、最も偉大なのは一人でもきちんと6時に来てくれた新練習係の彼だ。彼がいなかったら僕もさすがにばかばかしくなり次回からは6時に来なくなっていたかもしれない。Rの練習係はこのように泡を食うのが仕事である部分もかなりあるのだけれど、めげずにがんばってほしい。