同窓会について

yamada1642005-04-23



高校の合唱部の同窓会があった。同級のAG君が素晴らしい仕切りっぷりを発揮し、私と1コ下と2コ下と3代合わせてなんと20名以上も集まった。中には3年ぶりとか5年ぶりとか、ヘタしたら卒業以来会っていない人などもいたりしてほんとうに懐かしかった。


また極めて久しぶりに会っても、意外と空白を感じることなくごく自然に話をすることができた。やはり高校時代の友は生涯の友なのだろう。


といっても僕もそれほど社交性が豊かなほうでもないので、大人数になると隅っこのほうで仲の良いメンバーと固まっているほうである。高校生であった当時もそうであったが、10年経った今でも変わらずそのシチュエーションが再現されていたのはなかなかシュールであった。まるで10年前と同じである。


といっても現実は10年後であり、そろそろ結婚をする者も出始め子供がいるものもいる。このへんはさすがに時代を感じる。僕自身も年齢的には結婚してもおかしくない年代なのだ。同年代の友人たちが家族を作っていく・・・


しかし合唱を続けているものは今はいないようである。むしろ今は合唱は好きではない、という者も多い。この辺は現役時代の部活動の環境や指導者の態度にも問題があるのだろうが、今でも合唱を続けている僕としては少々悲しい。


そういえば高校生であった当時から、メンバーはイマイチ合唱そのものは好きではないような風潮が強かった。もちろん現役当事は皆練習に参加していたが、例えばほんとうに練習につっこんで良い演奏を目指そうとするような姿勢はあまり強くなかったように僕は感じていた。


それよりもどちらかというとクラブ活動そのものを楽しもう、という流れのほうが主流であったように思う。僕は何となくそういう雰囲気が当時不満だった。


ところが僕の代はメンバーとしては最高に恵まれていて、恐らく我が母校歴代30代の中でベスト3に入る代だったのだと思う。10年も経ってまだ負け惜しみを言うようでなんだが、僕らの代のメンバーがきちんと(他の代のメンバーと同様に)練習に取り組んでいたら、あるいはコンクールなどでももっと良い結果が出せたのかもしれない。


さすがに今となってはコンクールの結果にこだわりはないが、反面それ以上にあれだけのメンバーがそろっていながらベストの演奏をしていなかったのではないか?ということのほうが残念でならない。


僕は高校卒業後も大学、そして社会人と合唱を続けているが、なんだかんだいって演奏を一番左右するのはメンバーだと思う。つまり、上手い人が集まればスゴイ演奏になるし、ヘタな人が集まって良い演奏をするのはしんどい。


僕は今でも、ある意味高校時代の合唱部のメンバーを超えるメンバー構成に出会ったことがないように思う。合唱を続ければ続けるほど、そのことを痛感するような気がする。今でも男声合唱を練習していて全体が今一歩であるとき、(こんなときMがいればな)などとふと思ったりする。


もちろんこれらは自らの過去の思い出であって、相当程度美化されたものなのだろう。しかし今でも、その当時のメンバーがベストを尽くした演奏まではたどり着いていなかったということは一つの後悔として残っているのだ。


過去は取り返せないので、今は自分が参加している合唱でメンバーがベストを尽くせることを考えて活動している。

    

今は一緒に合唱をすることはなくなったが、過去を共有するかけがえのない仲間たち。そしてみんな、演奏することはなくても今でも合唱を愛している。