合唱とゲーセンについて

yamada1642005-05-17




昨日「合唱」と「ゲーセン(ストII)」の社会的認識は似たようなものである、見たいな話を書いた。つまりどちらも「良く知らないし、どちらかというとカッコ良い趣味ではないし、オタクっぽくて敬遠」みたいなニュアンスがあるという意味だろう。マイナーな趣味なんてそんなものである。


僕自身はもちろんそのようには考えておらず、合唱は人が一生をかけて追求するに足る趣味であり、それは自分自身の楽しみや成長のためであり、そして音楽によって人に感動をもたらすためであると考えている。


そしてストII(その他格闘ゲーム全般)もまた人が一生をかけて追求するに足る趣味であり、それは自分自身の楽しみのためであると同時に、そこからさまざまな教訓を得たり、また自分自身の精神を常に厳しく磨き上げるためのものである。


このように僕としてはどちらもとても重要な趣味で、有意義で僕の人生を豊かにしていると考えているし、これらの趣味から僕は実に多くのことを学んだ。趣味というよりも僕自身、といったほうがいいかもしれない。


現実的な活動の比重や思い入れはやはり合唱のほうがだいぶウエイトが大きいが、かといってストIIがつまらない趣味だとはこれっぽっちも思わない。


もちろん、それを人が理解しないのは人の勝手だ。合唱には、「演奏により人を感動させる」という目的があるために人に認められることも非常に重要だが、ストIIは「相手に勝つ」ことを目指すものなので相手にだけ認められれば(勝てば)良いという部分がある。


だからどちらかというと、僕の合唱活動が人に理解されないことはより深刻な問題であり、ストIIはまあ興味のない人には理解される必要はあまりないかもしれない。


僕はこのように自分自身がマイナーな趣味に没頭しているタイプなので、人が他のマイナーな趣味に没頭することを基本的に否定しないし(それが公序良俗に反するものでない限り)、また自分にはわからない世界でも、その人はその趣味から多くのものを得たり、有意義な時間を過ごしているのだと考える。


反面、このようなマイナーな趣味をなんとなくよくわからないというスタンスで否定的に捕らえてしまうというのはちょっと考え方が狭いような気もするし、もったいないような気もするが、まあそれは人それぞれの勝手というところだ。


この件について僕が一番気になるのは、僕の合唱の仲間にストIIの話をするとそれを「つまらない趣味」のように取られる場合があるということだ。


もちろん卑下したり馬鹿にしたりするということでは全くないのだけど、合唱をやっている人が合唱を大事にするような気持ちが、ストIIにもありうるということに想像力が働いていないように感じる場合がある。(勘違いかもしれないが。)


しかし合唱をやらない普通のストIIプレイヤーからすれば、合唱だってつまらない趣味に過ぎない。このようにお互いを否定的に捕らえることは、知的好奇心が満足する可能性を逓減させるような気がして不毛に感じる。


だからどうだ・・・ということはないし、ストIIプレイヤーが(論理的思考として)「合唱も良いよね!」などと考えるとしたら確かに不気味だ。


しかし合唱人は、想像力や他者への理解力が常に磨かれているべきであって(それはハーモニーを作ったりアンサンブルをしたり、そしてその前提となる人間性や信頼関係を磨くためだ)合唱人がストIIに理解を示さないことに若干の物足りなさを感じる今日この頃である。