本番について


府中市芸術の森どりーむほーるで本番を歌ってきた。7月の本番を欠席してしまったため、僕にとっては半年振りの本番となった。社会人になって合唱を再開して以来、本番までの間隔がこんなにあいたのも久しぶりだ。


また昨日のブログにも書いた通り、本番に対する僕の心境もこれまでとは違ったものだったと思う。自分のポテンシャルを最大限引き出すよりも、全体に迷惑をかけないことを考える・・・と昨日書いたときは美しいように感じたが、実態は全く美しいものではない。


つまり僕にとって「自分のポテンシャルを最大限引き出す」ということは「自分が全体に寄与するために最大限の貢献を実現する」という意味で、「全体に迷惑をかけないようにする」などというのは奇麗事でたんなる手抜きだったのかもしれない。そこにはかつての緊張感や集中力がなかったように思う。


その端的な例は、本番当日目覚し時計に起こされた瞬間「今日は日曜日で会社も休みなのに、何で目覚ましがなるのか?」などと思ってしまったことだ。そのため僕は二度寝、三度寝をしてしまい寝坊し遅刻ぎりぎりになって「今日は本番の日であった」と思い出し飛びおきた始末である。もはや演奏者として本番に臨む緊張感も集中力も何もない。悪い意味で緊張が切れてしまっている。


本番は合同演奏会形式で、混声Rの本番は順番上最後であったため他団体の演奏をしばらく客席で聞いた。しかしここでも本番前の緊張感がなく、他団体の演奏はほとんど聞かずずっと客席で熟睡していた。そのため声帯が寝てしまい声の調子はすこぶる悪くなってきた。


ただ幸いであったのは、ここ数日の赤ワイン効果と「迷惑をかけなければいいや」という脱力感であった。確かに声は寝ていたが、かといってムリヤリ声を出そうと力むこともなくリラックスしてその状態でのベストを尽くせたと思う。


眠ったような声で本番を歌いそして本番が終わった。演奏全体も果たしてよかったのか悪かったのか良くわからない。ただはっきりしていることは、私の生涯で踏んだ本番のステージで私自身はもっとも最悪の状態であったとういうことだろう。


団に復帰したのは良いが、その際に自分の声に自信を失ってしまった。その後あれこれ苦心し悶絶し、結局最悪の結果だけは避けるようにしようという考えに陥った。そういうスタンスが僕自身にはきわめて相性が悪く、緊張感が断絶する結果に陥った。


自分は演奏者である、というアイデンンティに基づいて演奏活動を続けてきたが、今回はそれが維持できなかったと思う。単なる「合唱団にたまたま所属している一メンバーである」という認識しかもてないうちに本番を迎えてしまったという後味の悪さが残った。


10年以上も合唱を続けていてこれではちょっと救いがない。自分は一体何のために歌っているのだろう。試験勉強のために確かに2ヶ月ほど合唱の演奏から遠ざかってはいたが、単純にそれだけの問題ではないように思う。


音楽とは何なのか?それを演奏するということはどういうことなのか?そして自分は一体音楽にとってなんであるのか?今はあまりうまく考えることができない。「自分にとって音楽とは何なのか?」と疑問することに意味を感じることもできない。