日曜日の午後の雨について

yamada1642005-09-04



このブログにも以前書いたが(2005-03-10 - やまだひろしの合唱ダイアリー)、私の自宅でかつて両親が飼っていた犬が交通事故で死んでしまうという出来事があった。その犬はショパンといい、僕の両親はショパンを溺愛していた。またもとも犬があまり好きでない僕にもたいへんなついており、交通事故で死んでしまったときには犬とはいえとても大きな衝撃が私の家庭にはあった。


時間とともにその衝撃はうすれ、さらにその後新しい犬(シナモン)を飼ったりしたことで私の家庭は徐々にもとの平穏を取り戻していった。またショパンの死後1年を過ぎたこともあり、私の家に祭られたままになっていたショパンのお骨をこのたび埋葬することになった。


日曜日の午後、近所の貯水池の山にあるペットの火葬場兼共同墓地に、ショパンのお骨とともに両親と足を運んだ。そらは曇っていたが予報では夜まで雨は降らないとあり、また家族の予定が合う日もなかなかなくこの日にいくことにした。


両親はお骨を何年かでもロッカー式の共同納骨堂に祀るか、それとも骨壷から出して合祀にしてしまうかを決めかねており、実地に納骨堂を見ることにした。納骨堂とはいえバラックの建物が丘の裾野に建てられており、そこに下駄箱サイズのロッカーが設置されていた。


確かに一頭ずつ祭られることには違いないが、やはりペットの納骨堂ということもあり、いまいち雰囲気がよろしくない。またあいているロッカーも最下段であり、さらに納骨堂のバラックは日当たりも悪くあまりよい環境とは言いがたかった。


そんなことを両親と話しているうちに、ぽつりぽつりと雨が振り出した。泪雨なのだろう。ただでさえ最近の私の家庭の関心は新参者のシナモンに寄せられており、さらに埋葬されてしまうということもありショパンも寂しかったのかもしれない。あるいは最後の別れの挨拶だったのだろうか。


あまりの日当たりの悪さから、結局丘の上の日当たりの良い合祀墓地に埋葬するほうがショパンも喜ぶだろう、という結論に落ち着き、骨壷から移し埋葬するこにした。坊主こそ出てはこなかったが(僕は坊主があまり好きではないのでむしろ良いのだが)お骨を手で拾い埋葬し、焼香した。


そうこうしているうちに雨はよりいっそう強くなってくる。号泣といってもいい。単なる偶然に過ぎないわけだが、それでもあまりにもタイミングがよく、私たちにショパンの思い出を強く印象付ける涙雨となった。


近所の藍屋で焼香落としをしている間も雨は降り続いた。帰宅すると、シナモンが妙に元気がない。いつも家族が帰宅すると真っ先に玄関先まで迎えにくるのに、今日は奥で小さくなっている。食事もほとんど取らず、家族で心配していると、翌朝にはすっかり元気になっていた。


今にして思えば、シナモンも何となく家族の雰囲気を察し、喪に服していたのかもしれない。こうして私の家庭(シナモンまで含めて)において、「ショパンが1で、シナモンが2である」という認識が定着した。死してなお私たちにその存在を強くアピールするショパンは偉大であり、かつての黄金聖闘士に匹敵する小宇宙を持っていたのかもしれない。