影響を受ける、ということについて

yamada1642005-10-08



「この作品は自分の価値観に影響を与えた」という作品は誰しも心にもっていると思う。それは文学であったり、映画であったり、音楽であったり、マンガであったりする。その作品はその人にとっては特別なものであり、たいていの場合、その人はその作品のことをこころのどこかで大切にしている。


僕にももちろんそういう作品はある。ただ僕の場合、そういう作品の数が人よりずいぶん多いらしい。普通の人は「この本は自分の人生にとって一番重要な本」というようなスタンスを抱いている場合が多いらしく、僕のようにあまりにも多くのものに影響を受けていると「それはほんとうの意味で影響を受けているのではない」「表面的なものに過ぎない」と見られる場合がある。


(先日、合唱団の友人とガンツについて「これは僕にすごく影響を与えた」という話をしていたら「山田は影響を受けているものが多いね」みたいな指摘を受けた。そこには上記のようなニュアンスが若干感じられた。)


僕が高校生だったころは当然今よりももっと多感であったため、今以上に多くの作品にふれ、多くの影響を受けた。


高校時代僕がもっとも親しかった友人も、僕のそういう振る舞いを見てまさに「それはほんとうの意味で影響を受けているのではなく、きわめてミーハー的なもので感心できない」と指摘した。


しばらくほうっておいたが、彼はしばしばそのことを指摘してきたので、僕は「全てのものに強く、そして均等に影響を受けることで、初めて本当の意味でフェアなスタンスに立つことができる。」という僕の持論を説明したら、それ以降彼はそのことについて批判しなくなった。


彼が僕の持論に説得力を感じ納得したのか、単にあきれただけなのかは、現在にいたるまで確認していない。