話がこじれる、ということについて


1.このころ私は8月の資格試験に向けての勉強のため混声Rを休団していた。しかしそれに先立って7月の有機Gの本番のお誘いがあり、この活動だけならだいじょうぶかな?という計算と、私の都合で私が立ち上げている有機Gの活動を止めるのもメンバーに対して大変失礼なような気もして、この活動だけは進めていこうと考えていた。


結果として私は混声Rに顔を出さない状況で有機Gの活動をしているわけで、これが混声Rの一部のメンバーにとっては面白くなかったらしい。


2.また有機Gはこれまで主に私が練習を仕切り、メンバー相互の指摘をもって練習を進めてきた。しかし当然ながら、この方法には限界がある。そこでこのころは私の彼女(声楽科出身)に音取りと発声の一部をお願いしていた。私にすればロハで身内に指導をお願いしているわけで微妙だが、しかし練習の進行が劇的に向上したことは否めず、彼女自身もそこそこ楽しんでやってくれているようだったので、まあよしとしていた。


しかしこれも、混声Rの一部のメンバーにとっては面白くなかったらしい。(とくに、この練習に参加したことの無いメンバーからの反感が大きかったようだ。)


3.もうひとつは、私はRの指揮者の先生から再三に渡り「有機Gとして参加する」ようお話を頂戴していたが、どうも他のRのメンバーに対しては必ずしもそういう説明をしていなかったらしい。しかしこれは伝聞情報で、未確認である。上記の2つの事由と相関していろいろな話が集団のなかで曲がっていったことは大いに考えられる。


ことの真相はともかく、やはり混声Rの一部のメンバーにとっては、私が勝手に有機Gの活動として進めている、ということになっていたようだ。


私も普段は会社組織で働いており、仕事も営業職、それも比較的日本的な官僚組織の強い大企業様をお客様としているわけで、このくらいの話の推移はものすごくよく理解できるし(良い悪い、という以前の問題として)、とにかくこのまま話を進めてもなにもよいことはなさそうだということもよくわかる。


そんなわけで軌道修正をしようと指揮者の先生に相談するも(私はすでにこの活動に有機Gとして参加すること自体やめて、違う枠というか単位として参加するべきだと考えるようになっていた。)なかなか先生は了解していただけず、しかし活動は進まないため、結果としては最終的にお断りをする、という形で事態を着地せざるを得ないという結果になった。


上記3が事実であるとすると、そもそも依頼自体が無効なので、「お断りする」というのもおかしな話なのだが・・・・


指揮者の先生が私に期待していたことがなんなのか、ということはある程度わからないでもない。時間的に余裕の有る時期だったらその期待にこたえることもしたかもしれない。しかし上記のとおりそもそも混声Rの活動も休んでいる状況で、あまり多くを期待されるのも厳しい。


もうひとつは、有機Gとは関係ないものとして今回のお話をふっていただければ、ある程度話をまとめられたかもしれない。有機Gとして、といわれると、ささやかながらもこれまで3年間活動しているわけで、そこにはそれなりのこだわりというか目標や方向性があるので、それを全く無視して活動を組み立てるのは難しい。


私自身の感情としては・・・上記1や2は、集団心理としてはわかるが、そもそも練習に参加もせず、また話をふっても何の返事もしてこないで、感情的な批判ばかりされても微妙である、というのが正直なところだ。また男声合唱をする場に置いては、1、2のようなことが問題になることはあまりなかったように思う。しかしよく考えてみればRは混声合唱団であり、そこにいる男性のメンバーは男声とはいえ混声合唱団の男声なのだ。そこにはやはり男声合唱団的バカさというか、あっけらかんだけでは通用しないものがあり、村社会的な独特な政治関係があるのだ。


(もちろん批判しているわけではない。人の集団なのだから、仕事だろうと趣味だろうと必ずそういう雰囲気は発生する。よい活動をしている集団ならなおさらのことだ。一般的な男声合唱団らしいムードのほうが、どちらかというと珍しいものなのだと思う。)


また、有機Gは混声Rの活動の中の一部である、という考えが混声Rのメンバーには多かったように思う。しかし、私は全くそうは考えていない。(そう考えると、混声R以外のメンバーはあまり呼べなくなってしまう。それでは有機的演奏単位とは呼べない。)


いろいろな要素があり話がこじれてしまっているわけだが、有機Gの活動を整理する良いきっかけにはなったと思う。この件をきっかけに、私はますます「有機的演奏単位」という活動形態について理解を深めることができたように思う。この経験がきっかけとなり、その後の有機Gの活動は変化していくが、それはまた今後の合唱ダイアリーで。