椿姫7 演出を解釈する、ということについて

yamada1642006-02-05



前回の立ち稽古の話の続き。私は演技能力に優れているわけでもなく、またマニュアル人間であるため、行き着くところは勉強と研究である。私の担当するマルケーゼ役が一番動く二幕二場のフローラとのからみには、「マルケーゼの浮気を怒ったフローラが、マルケーゼをセンスでペチペチたたく」というやや珍しい演出が指揮者の好みによりついており、経験豊富なフローラ約のTさんも「解釈に困る」などといっていたので、この部分についてはよく話すことができた。


私の解釈としては、劇全体としてみた場合にこの二幕二場は唯一話の本筋とは関係ない場面であり、 (ヴィオレッタとアルフレードの物語には直接的には関係しない、という意味)本来劇中に必要のないシーンである。このシーンの存在意義は、演奏者の間ではよく「ヴィオレッタを休ませるため」などといわれたりするが、これはやや演奏者の都合に偏った解釈であろう。


椿姫という劇の趣旨は、やはりヴィオレッタとアルフレードの純愛であり、劇中のほかのあらゆるギミックは対比としてヴィオレッタとアルフレードの関係を強調するための仕組みであると私は考えた。その中で二幕二場は、二人の主人公をとりまく当時の貴族界・社交界の、あまり誠実とはいえない実情を示すためにあるというわけだ。


フローラとマルケーゼも恋人同士といっても所詮娼婦とそのパトロンの関係であり、そこにあるものは純愛とはいいがたいだろう。むしろ対比として考えれば、純粋に経済的・社交的な関係に過ぎないのかもしれない。


そのような関係において人は、特にフローラはどういう風に行動するだろうか?私のイメージでは、「精一杯純愛ぶる」という行動がもっとも適当に思えた。通常、パトロンが多少放蕩をしたところで、娼婦がその経済的支援者をペチペチ叩くなどということはしないだろう。(そもそも娼婦を持つこと自体が放蕩のような気もするが・・・)だから、多少マルケーゼが浮気をしたところでいちいちフローラは怒ったりしない。内心はもちろんそうだが、しかしその部分をマルケーゼに悟られてしまうと、「こいつは金だけの関係だ」というのがミエミエになってしまい、マルケーゼは面白くない。それではフローラはいつまでもパトロンを捕まえておくことはできないだろう。


となると、たとえば浮気がばれたとなれば、嘘でも「本気で怒ったふりをする」のが、優れた娼婦のあり方だろう。そのことを劇進行中の短い時間で表現した演出が「扇子でぺちぺちたたく」ということなのだと思う。そう考えると、一風変わったこの演出もある程度合理的のように思えてくるし、どういう風に演技していいのかが見えてくるし、「その気持ちがわかってくる。」