椿姫10 本番のあと


椿姫の本番は終わった。当初誘われるままに深く考えもせず参加した私だが、この半年足らずの間に経験した内容は大変充実したものだったと思う。合唱活動とオペラ活動の間に優劣をつけるつもりはさらさらないが、私がそのまま合唱だけを続けていたとしたら、この時期にこれだけの充実感を抱くことはできなかっただろう。


良い意味で転機だったのかもしれないし、ずっと続けていた活動から別の活動に移ったら思いのほか面白かった、ということはよくある。ずっと合唱ばっかりやっていて飽きていた部分もあるのかもしれないし、変化そのものが面白かったという部分もあるだろう。


しかしやはりそれだけでもないだろう。自分の中にはずっと音楽的な欲求のようなものがあり、それは絶えず変化しつづけてはいるものの、変わらない部分もあるわけで、それが自分の音楽性の基礎というか好みというか、方向性なのだと思う。


この方向性に対し、ここ1、2年の間私が参加していた合唱活動は必ずしも一致していなかったのかもしれない。当事者として参加しているときは当事者なのでこういう考え方にはならないが、図らずも別の活動をしてみたことでこれまでの自分の合唱活動を客観的に捉える結果になったようだ。


ではオペラはすべて私の音楽的な好みに合致するかというと、もちろん全てがそうだというわけではない。なんと言っても私の音楽的な好みの一番のベースはハーモニーであり、純正調であり、多田武彦にあるわけだから。総合的に考えればやはり合唱の方がはるかに私の好みに合っている。


しかしそれでも、今後今しばらくは合唱の活動よりもオペラの活動を優先するかも知れない。それは、自分の声や技術をもっと磨きたいという欲求であり、なんというか、自分が生まれ持ったそのままの「自分の声」を磨きたいと思うのだ。そしてそういったことに本格的にチャレンジするのであれば、自分の年齢からしても今が最後のチャンスであるようにも感じられるからだ。


こういう考え方に対し、合唱畑の方々はたまに否定的であると思う。というのも合唱の目的は個人の声を伸ばすことではなく、全体として美しい演奏を作ることにあるからだ。個人の声を伸ばすために、全体に悪影響を及ぼすのは本末転倒である。


私も10年以上合唱を続けているからには、こういう合唱的な考え方ももちろんとてもよくわかる。しかしやはり、だからといって「自分ならではの声」を磨かない、意識しないというのは間違っているように思う。本当の理想は、メンバーがすべて自分自身にしかない「自分の声」で歌っていて、それでいて全体として美しくまとまってひとつの演奏をするということだと思う。


もうひとつ、いま少しオペラを勉強しようと思うのは、椿姫に参加したことで、自分でもオペラに参加できる機会があるということがわかったからだ。今まで自分は、「自分にオペラは無理」とどこかで決め付けていたように思う。しかしたまたま人と機会に恵まれて今回とても良い経験をすることができた。今回お世話になった方たちにお返しをする意味でも、もっとオペラを練習したいと思う。