帰省について

yamada1642006-05-01



回想録である。帰省といっても私のではなく、恋人の帰省だ。ゴールデンウィークに恋人の実家である大阪府河内長野市に行った。


愛車のセリカで午後10時ころ高井戸インターにのり、ひたすら高速を走る。大阪に着いたのは翌朝の午前6時ころ。微妙な時間で困り、漫画喫茶にはいり2時間ほど仮眠をする。


恋人の実家に行くのは初めてだが、お母さんとは一度お会いしており、お父さんは既に他界している。徹夜運転明けの疲労もあり、また私自身の持ち前のずうずうしさもあり、特に緊張することも無くお邪魔する。


東京の家と違って、やはり大きく立派なお家だ。3泊ほどお世話になった。お母さん以外のご家族(弟さんと妹さん)に紹介される。弟さんは最後の形のスープラをお持ちで、その点で非常に話が合い、スープラにものせてもらった。それなりにチューンされてはいるもののとても丁寧に乗っている。サスはがちがちに堅いが、運転は丁寧だった。


妹さんは一見今風の雰囲気の子だったが、とてもしっかりしてる感じだ。末っ子らしいというか。妹さんは近くの居酒屋で働いており、そこに食事にいったりした。


また、近くに文化園というおおきな植物園があり、お母さんと恋人と三人で行った。私自身は植物園は好きで、お母さんもとても良い方でよくしてくれたこともあり、とてもリラックスして楽しむことができた。が、帰ったら弟さんに「俺なんでこんなことしてるんだろ、と思ったでしょ」とつっこまれた。


帰省ついでに恋人が友人と会う,というので、そこでも紹介された。音大時代の友達らしい。と聞くと、どうせなら練習できればよいのに・・・と思ったりもするが、流石にそうはいかずなんばの町をぶらつき自由軒のカレーを食べ、解散した。


弟さんは車に強い方なので、「車で帰るんなら高速ではなくて下道でもたいしてかわらない」とおっしゃった。私も高速代の高額なことに参っていたので、弟さんのお言葉通り下道で帰ってみた。すると、くたくたになった。道に不慣れなこともあるが、午後2時に大阪を出て、名古屋ですでに真っ暗。長い長い静岡県をやっと越えてほっとしたところで、箱根の山である。このとき、既に午前5時。急カーブが続く山道に濃霧。命からがら帰宅したときには精根尽き果て死んだように眠った。が、やはり高速代がかからないのは魅力だ。次回も多分下道だろう。