引出物について つづき

yamada1642006-08-22



昨日の続き。


商品をお客様にお勧めするときにもっとも大事なことは、お客様のニーズを把握することだとは良く言われる。これはつまりお客様の価値観や感情を察するということだろう。


引出物のような定例行事品の場合難しいのは、「しきたりだから」「やらなくてはいけないものだから」といった色合いが強く、また極めて個人的事柄でもあり、なかなか本当のニーズまで踏み込めない場合が多い。あるいは、お客様自身が自らのニーズを把握していなかったり、ニーズがゼロまたはマイナスの場合もあるので厄介だ。あまり聞き込んでしまっても失礼にあたる場合もしばしばである。


しかし自分自身のこととなれば話は別だ。普段あまり考えないが、そもそも何のための引出物なのだろう?(社会的習慣やしきたりという意味ではなくて、自分自身にとって、という意味)ということを考えてみた。

引出物について

yamada1642006-08-21



職業柄、人から引出物について相談を受けることはよくある。もちろん、仕事で扱う場合もある。冠婚葬祭は万一不快な思いをされてしまうと一生忘れないものだが、それでいて地域や人によって文化やこだわりポイント・地雷ポイントも違う。人の相談に乗るときには細心の注意を払って行うのが常だ。


よく、「正しいやり方」「やってはいけないやり方」などを聞かれるが、これも個人差・地域差が結構ある。明らかな間違いはわかるが、そこから先はなんともいえない場合が多い。しかしながら、やはり人の相談に乗るときには「極力間違いでないもの・やり方」を提案せざるを得ない。


そんなわけで私も引出物についてはある程度の知識を有しているつもりだったが、いざ自分の結婚式の引出物を選ぶとなると、意外と「保守的な」知識しかもっていないことに気が付いた。


本来、お越しいただいた方に感謝の意を表するため、あるいは喜んでいただくために用意するのが引出物であろう。しかしながら実際に考えてみると「喜んでもらう」よりも「不愉快な思いをさせない」「嫌がられない」「怒られない」という思考につい偏ってしまうというわけだ。


また人に相談されれば「無難なもの」として「カタログギフト」をついつい薦めてしまう私だが、やはり仕事柄自分の結婚式でも「カタログギフト」では格好がつかないし、個人的にはあまり好きではない。やはりモノが良い。


多くのお客様に多くの商品をお勧めしてきているわけだから、自分自身に対してもきちんと納得できる商品を提案してみたいという気持ちもある。時間はあまりないが、ひとつ考えてみることにしよう。


(つづく)

親族へのご挨拶について


私は東京の実家においてほとんど親戚付き合いというものが無い。実家の隣に伯父さんご家族が住んでいるくらいで、その他の親戚はほとんど交流が無い。


しかしながら奥さんの実家はそれなりに古い土地で家も大きく、親戚付き合いも日常的に頻繁にあるようだ。私には全くわからない世界だが、ご挨拶が重要だということは良くわかる。


ほとんど徒歩圏内に親戚がいらっしゃるというのも不思議だ。結婚を機に自分の人生と全く関わりの無かった人たちと身内になるというのも不思議なものだ。私自身はかなり適応力も順応力もあるほうなので、早くも奥さんの実家の土地がまるで自分にも昔からゆかりがある土地であったかのような錯覚を覚える。不思議なものだ。


親戚付き合いが多いということもあり、いただきものも多い。中には東京ではあまりお目にかかれない立派なものもあり、恐縮してしまう。東京の生活は便利でシンプルで話が早いのはいいのだが、こういう昔からの習慣も良いものだ。

短い滞在時間でいろいろな人に会った。二回目の滞在ということもあり、奥さんのご家族とも少し打ち解けたような気がしてうれしい。ご家族もファミコンが好きらしく、私もイーアルカンフーをやらせてもらったりした。(80面くらいまでいって、遠慮してやめた。)

帰省について


夏休みに奥さんの田舎である大阪へ。帰省と、結婚前の親族へのご挨拶のためである。とはいえ東京でも結婚式や新生活の準備など忙しいために、あまり長くはいられない。


新幹線で行けばよさそうなものだが、予算削減と私の個人的な楽しみのために車で帰った。愛車のセリカでの長距離運転はしんどいが楽しい。


奥さんの実家に行くのは二回目だが、ご家族の方も大変良くしてくださり申し訳ないくらいだ。ご家族とご親族の方へのお土産に塩瀬のお菓子を用意し、また奥さんのお父さん(すでにお亡くなりになっている)へのお供えとしてびわゼリーを用意した。

二重唱について


しかしながら妥協できない部分もある。それは披露宴における余興で、夫婦で二重唱をやろうというものだ。今にして振り返るとこれも無謀としか言いようがないが、あまり欲張らないところでもよいのでなんとしてもやりたい。


私が昔から好きなレハールメリー・ウィドウの二重唱を歌うことにした。この歌の良いところは、メロディーが有名なので取り合えずクラッシック音楽をあまり聴かないお客様にも耳当たりがよいであろうとうことと、短いということだ。特に後者の特徴が大事だ。

カルメンの練習はさておき、これらの準備に忙殺されつつ2006年の8月はあわただしく過ぎていく。

2006年8月ころの生活について

yamada1642006-08-01



回想録続き。(長い。)


結婚式は9月3日になってしまったので、準備の奔走される毎日。私自身も結構自分のことは自分でやりたいというか、自分でできることをお金を払って人にやってもらうのがいやというか、とにかくやることが多い。


招待状や席札などのペーパーアイテムが自作自前なのはもちろん、仕事柄引き出物や引き菓子も業者任せでなく自分手配(笑)。BGM用のCDも自前。曲のセレクトについて奥さんと議論が続く。


奥さんは奥さんでウェルカムボードなどを作っている。今にして振り返ると(この日記は実際には2007年11月に書いています)非常に無謀なのだが、A3サイズくらいある刺繍のウェルカムボードを何故か奥さんは選択した。そして「余裕」「全然間に合う」などと豪語しているが、明らかに間に合わない。


本人もあせっているようなので、それ以外の仕事は原則しなくてよいということにして、ほとんどの手配は私がすることに。


また結婚するということは必然的に新生活をはじめるわけで、こちらの準備も必要になる。一時的に練馬の歴史的建造物に住んでいるのだが、いつまでも住みつづける感じでもないのでとりあえず引越し先を探したりもする必要がある。


このような状況下において限界を感じたため、まず挙式/披露宴と、いわゆる二次会は別の日に行うことにした。もともと挙式・披露宴は親族中心のごくごくこじんまりしたもので,対して二次会は友人や職場の仲間などを多く集めたい意向だったので、別のものと考えたほうがよさそうである。


また新生活についても、とりあえず住む場所は探すもののそれ以上の新生活準備(具の用意など)は考えないことにした。今暮らしているわけだから、引っ越しても今有るもので取り合えず同じ暮らしはできるわけだし。

オーディション当日について


いろいろと練習したり試行錯誤の末オーディションの日になってしまった。この日は自宅で軽く発声と練習をしてから会場に向かった。


会場に着くと、男声ソリストのオーディション参加者は3人(しかも全員知り合い)であった。この時点でキャストは確定?(笑)一方女声は10人くらい来ている。知らない人も多い。奥さんもこのときオーディションに参加しており、女声はこのうち4人しか合格しないわけだから狭き門だ。


家で練習していたときは比較的楽に良いポジションで声が出せていたが、いざオーディション本番となるとやはり緊張してしまい、かなりきついがなるような声になってしまった。特に高音のEやFで伸ばすところなどが我ながら汚い。びびった反動で勢いだけで歌っている感じになってしまう。



この辺は技術的な不足はもちろんのこと、度胸など精神的なものもあると思う。拙いながらも自分の技術の良いところを本番で出す、ということがまず難しく、これは経験を積んで度胸をつけるしかないように思う。そういう意味ではよい勉強になった。


奥さんはミカエラ希望であったためミカエラのアリアを歌った。私とはそもそも根本的な音楽経歴が違うので、そこそこうまく歌えているようにも思うが、いかんせん女声は他の参加者が豪華でみなウマイ。おそらくほとんどの方が音大声楽科出身と思われる。競技人口というか音大声楽科在籍の時点で女声の方が圧倒的に多いわけだから当然といえば当然だが。


あるいは男声で声楽家を出て歌いつづけている人は、そもそもお金にならないところでは歌わない、という人が多いのだろう。女声はある意味生計を立てる目的で声楽家に行ったわけではないひとも多いようだが、男声はそうはいかないということなのか。


結論から言うと私は歌のうまい下手は別にして、希望どおりモラレスを歌わせていただけることになった。奥さんはミカエラ希望だったが、与えられた配役はフラスキータであった。女声のあの競合状態のなかでキャストを獲得したのだから見事だといえるだろう。


本格的な練習は結婚式後だが、何はともあれ来年の3月の公演に向けて、キャストとして取り組むことになった。がんばろう。